無料ブログはココログ

« 菅総理 浜岡原発 稼働停止を要請 | トップページ | 2011年5月21日 鎌倉 広町の森にて »

2011年5月17日 (火)

原発立地地域の知事たちの話から感じたこと

原発立地場所の知事達が、浜岡原発を止めた理由が分からないとか、政府がきちんと説明してくれ、などともって回った言い方をしているのが気になります。
想像ですが、莫大な交付金が今後もきちんと入ってくるのか、明らかにして欲しいと言っているのだと思います。そうしたお金が入ることを前提に予算に組んでいるので、そうしたお金がきちんと入らないと、財政上やりくり出来なくなるのは困るということだと思います。

原子力に関する国の支出は、一般会計ではなく、特別会計に予算が組まれているそうで、そうした予算の配分について、原子力に有利に組まれていることは容易に推定できます。

原子力とは危険極まりないものだと分かってもなお、原子力発電を止めようとすると電力供給に不安がある、電力を使う企業が困る、停電はいやだ、という意見が必ず出てきます。これは結局日本国全体が、原子力産業にお金が落ちる仕組みにどっぷり浸かって、そこから抜け出す道が見つからない、ということではないでしょうか。

1960年代あたりから、原子力は将来のエネルギーだともてはやされ、国を挙げて推進してきた訳ですが、発電コストが結局高くつく、ということが分かっても、特に保安院とか、許認可する行政のチェックが全く働きません。一度推進と決めたものは、どうあっても方向転換出来ない、というのは、原子力だけでなく、天下り、不要なダムの推進や、干潟の埋立など行政側のどうしようもないシステムにあるのではないか、日本は官僚支配の国から永遠に脱却出来ないのではないか、と暗澹たる気持ちになります。

私企業は、グローバル競争下にあるので、終身雇用などとっくの昔に無くなって、経済原理が働いていますが、お役所のシステムの根本がどこか間違っているのではないでしょうか?

自民党の河野太郎氏が原子力発電のコストを、経済産業省に出して欲しいと言ったら、肝心のところが黒塗りだった、という笑うに笑えないブラックユーモアのような話を聞きました。今回の原子力事故では東電の清水社長が各地で謝っている写真が目につきますが、保安院は謝罪の言葉すらない。どうして官僚というのはこうも腐った存在に成り下がったのでしょうか(-"-)

2011年5月27日追記

5月25日付けの朝日新聞朝刊に、原子力村は伏魔殿 神話の陰に 福島原発40年 と題して、シリーズの第1回目の記事が載っていました。小森敦司氏の署名入りでした。

この記事を読みますと、東電の社長ですら、原子力村には手出しできない、ようです。それほど巨大な産業になっていることを実感させられました。

この記事の中で、経産省の一部の官僚が「日本では電力コストが高いので、国際競争に負ける、という危機感を持ち」、送電部門を切り離す動きを見せたが、それに業界が危機感を持ち、「電力族」と呼ばれた議員、甘利明、加納時男らとともにこの動きを封じ込んだ。また、この時、エネルギー基本計画に、「原子力を基幹電源と位置づけ」「発電から送配電まで一貫」という文言が盛り込まれた、とあります。

官僚が腐りきっているなどと上の方で書きましたが、中には立派な方もおられることを知りました。村田成二氏という方だそうです。

族議員という、どこかに利益を誘導するような政治家は自民党の中には沢山いた訳で、その中でも最も危険な原子力の片棒を担いだ政治家は今も性懲りも無く、原発推進を唱えているというのは本当に呆れ返りますが、こうした議員を選んだ国民にも責任はあると言えるのではないでしょうか。

« 菅総理 浜岡原発 稼働停止を要請 | トップページ | 2011年5月21日 鎌倉 広町の森にて »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 菅総理 浜岡原発 稼働停止を要請 | トップページ | 2011年5月21日 鎌倉 広町の森にて »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30