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2009年3月

2009年3月31日 (火)

パソコン価格の新たな動向について

大手の量販店へ見に行く度にパソコンの価格の動向を見ています。
台湾のメーカーが5万円パソコンというジャンルを切り開いてくれたおかげでパソコン全体の価格が下がってきたのは大変有り難いことです。
しかし、画面が小さい、画質が落ちる、キーピッチが狭くて打ちづらい、CD/DVDドライブが付いていない、という欠点があります。
ここへ来て、国内の大手メーカーも従来製品の価格を下げてきているので、ちょっと奮発すれば、画面が広く、画質もよく、キーピッチが広く打ち易い、CD/DVDドライブが付いているものが買えます。1台目のパソコンは、どうみても、国内製品を買うでしょう。
またSONYのタイプPのような、5万円パソコンのジャンルの位置づけとはちょっと違った、デザインが良く、キーピッチが広く打ち易く、軽くて持ち運び易く、画質がよく、解像度が1600ピクセルもある優れたものが出て来ました。
そこで、私の得た個人的な感触ですが、国内大手メーカーの生きる道が開けてきたことがまずあげられます。それとSONYのタイプPのような優れた製品が生み出されたように、日本の底力・活力はまだまだ捨てたものではない、と思いました。
ただ台湾メーカーもSONYのタイプPのようなものを、10万円ではなくて、4万円とか5万円で提供をするようになれば、また脅威でしょうけど。
やはり、資本主義のいい面は、お互いに切磋琢磨して、良い製品を生み出してくれるというところにもあるのではないか、と改めて認識しました。

2009年3月30日 (月)

エビネとパフィオ



横浜反町のサカタのタネで「コウズエビネ」という名前が付いていたので買ったのですが。地エビネと同じような花が咲いたのでちょっとがっかりです。
やはり5月になって、咲いている花を見て買うのがいいようです。



このパフィオは、ホームセンターで1,500円で販売されていた緑色のラベル無しのパフィオです。名前が付いていないので、整形花ではないという評価を誰かが下したのでしょう。それを園芸農家が栽培して恐らく大量に市場にで出回ったものと思います。
だけれど、私は一見して、これはいい形をしているなぁ、1,500円は安いと思って飛びつきました。一作して咲きましたからかなり強健種なのでしょう。

2009年3月28日 (土)

液晶フード(シェード)を作ってみました。

コンパクトデジカメで植物の写真を撮る場合、日光が液晶に当たり、画面が見づらくて構図の決定がうまくいきません。そこで液晶フードを探しました。
最近どういう訳か、液晶フードが販売店に置いてないです。ウェブにはいろんな種類があります。その中に、ユーエヌという会社の下記の製品が目にとまりました。
モニタリングPRO ストラップ付き
一眼デジカメ、コンパクトデジカメの3インチモニター対応液晶モニター確認ルーペです。撮影した画像の写り具合や白トビをより鮮明に確認できます。又、日差しの強い野外でのピント確認も迅速にできます。手元にあると大変重宝するアイテムです。クオリティーの高い写真を追求する方に特にお勧めです。
UNX-8506:オープン価格 (推定実売価格:3,980 円)
JAN
コード:4907822085061
 

形状は下図の通りで、「シリコンゴム」で作られています。これは用途としては「ルーペ」として主として使うように設計されているようですが、写真を撮る時の液晶フードとしても使えそうです。

ところが、これを液晶面に当てて対象物を見ますと、ピントが合わないのです。少し離すとピントが合いましたので、カメラとフードの間に物を挟んで長くすることにしました。
ホームセンターでまずゴム製品を見たのですが、どうもうまいものがなく、木材を探しましたら、とても軽いバルサ材がありましたので、それを使うことにしました。
下図の通りです。バルサ材と、シリコンゴムの接着は、セメダインの「スーパーXクリア」というシリコンゴムにも対応している接着剤を使いました。


次にフードをデジカメに固定するために、髪の毛を束ねるゴム紐を使いました。
黒いゴム紐を使いましたので、カメラの色と区別するため、黄色で見易くしています。


これは裏面です。


前面です。レンズ面、AF補助光を出すところ、フラッシュ、ファインダー部には何とか紐がかからないようにしました。


これで一応完成です。問題点は、普段はフードがかさばるので、カメラから外すのですが、上記の方法ですと、カメラのストラップが邪魔して、分離できません。カメラのストラップの外からゴム紐を回すように改善をするつもりです。

2009年3月21日 (土)

鎌倉広町の森 散策

春らしい陽気になったので、早春の花を写しに行ってきました。

この森ではウラシマソウが普通に見られます。
Img_0356_3

ウラシマソウ
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早春の花の一つヒメウズ
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キブシ
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広町の地図
Img_0370_3

2009年3月18日 (水)

メールソフト Becky!を使ってみての感想

回りの人々が、Outlook Expressを使っていましたので、私も何の疑問もなく、このソフトを使ってきました。

ところが、このソフトは重く、起動が遅く、最適化でしたか、ときどき何かの作業が始まったりして、あまり使い勝手がよくないので、思い切って、有料のソフトを使ってみようと思い立ち、ろくに事前に評判も調べずに、シェアウェアのBecky!を買ってみました。

1.まだ全ての機能は知りませんが、まず気に入ったのは、起動が早く、軽いということです。

2.次に、メール送信で文章を書く時、改行位置をあらかじめ決めておきますと、文章を書いていて、改行位置のところに来て、そのまま書き続けますと、改行位置より右に書き込まれますが、どこかの切れ目でエンターキーを押しますと、自動的に改行位置のところで折り返して次の行に移ってくれます。改行マークも自動的に入りまして、送信すると文章の右側が綺麗に揃うことが一番気に入りました。

他にもいろいろな機能がありそうですが、まだ全て理解していませんが、この2つがとても気に入りました。

2009年3月17日 (火)

校長を悩ます「田母神」応援団

私は悲惨な結果に終った太平洋戦争は、軍部の暴走をとめられなかったことが原因の一つではないか、思っています。別に歴史に詳しくもなく、勉強もしていませんが。
るいるいと横たわる戦争で倒れて死んだ人々の写真やら、学徒出陣の式での悲壮な顔の学徒兵の写真やら、戦争の悲惨さに直面すると、絶対に戦争を起こすことがあってはならない、と思っています。
今次大戦の日本人の死者は300万人とか聞いたことがありますが、これほどの多くの人が亡くなった戦争に反省の心がなく、軍部暴走の反省から文民統制の制度が取り入れられのに、「日本は悪くない」などどおっしゃる、元空幕長の田母神氏が各地でもてはやされているそうです。更に悪いことに元首相の安倍氏までも、同調するようなことを言っていて、まるで反省の声がないことは呆れます。「美しい国」などと言って、密かに戦前のような、国に対する忠誠心とか愛国心を植えつけようとした魂胆が透けて見えるようなことを政策の基本にしようとした人が早々と首相の座から降りてくれてよかったと思います。

2009年3月16日の朝日新聞の記事を掲載させて頂きます。

風考計 若宮啓文(朝日コラムニスト)

日本は蒋介石の手で日中戦争に引きずり込まれた被害者だし、日米戦争はルーズベルトの罠にはまったもの。だから日本は悪くないという論文で空幕長を解任された田母神俊雄氏は、あれから4カ月半、意気軒高のようだ。
一部の月刊誌ではしきりに応援歌が歌われ、本人も講演などに引っ張りだこ。その近著を読んでみれば、相変わらず都合のよい史料の解釈が並び、ますます勇ましさが加わった。いまや右派論壇の救世主といった趣である。
 日本の侵略を謝罪して政府の外交基盤となった「村山首相談話」に真っ向挑戦しただけに、文民統制に反すると処分されたのだが、その開き直りには「文民にも村山談話を批判してきた政治指導者がいるのに」との思いがのぞく。
さもありなん。その代表格といえる元首相の安倍晋三氏は月刊誌に登場して「田母神論文に対するマスコミの反応は常軌を逸する」と批判。できるなら村山談話を塗り替えて「安倍談話」を出したかったと無念を語った。もし安倍政権が続いていたら、今度の問題にどう対処したのだろう。
 2月19日に田母神氏を自民党本部に招いて話を聞いたのは「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」だ。この会の前身は安倍氏や中川昭一民らが作ったもので、今の会長は中山成彬氏。彼もまた成田空港建設をめぐる「ゴネ得」発言や激しい日教組批判で麻生内閣の国交相を辞めた人だが、「空幕長の発言は村山談話を見直すいい機会だったのに、急に更迭されたのは大変残念」とホームページで熱いエールを送っている。

 さて、その裏返しのように、いま田母神シンパの一部から激しい攻撃を受けているのが、防衛大学校の五百旗頭真(いおきべまこと)校長だ。事件のすぐ後、毎日新聞のコラム「時代の風」(08年11月9日)で田母神氏の処分を強く支持したことから標的となった。
 コラムでは「軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独白に行動することは、軍人が社会における実力の最終的所有者であるだけに、きわめて危険である」と書いて文民統制の重要さを説き、戦前の苦い教訓を挙げて自衛官に自重を求めた。長い歴史を考えると日本人は卓抜した能力がある立派な国民だが「その中での遺憾な局面が、あの戦争の時代」だったとして、今もその誤りを認められない人々を厳しく批判もした。
 神戸大教授だった五百旗頭氏は06年夏に防大校長に登用された国際政治学者。故・高坂正垂京大教授の直系らしく柔らかな現実主義が持ち味だ。政府のアドバイザーとしても重用されてきたが、イラク戦争や首相の靖国参拝には反対だっただけに、選任した小泉首相のの度量が話題になった。
 しかも、退任する小泉氏のメールマガジンに「小泉政治5年」寄稿を求められ、その外交を全体としてたたえつつも、米国のイラク戦争失敗や靖国参拝の深い傷を率直に盛り込んだ。それで構わないと言って平気で掲載した小泉氏には、思うところがあったのだろう。そういえば、小泉氏は村山談話の熱心な継承者でもあった。
 このメルマガに募っていた右派の不満に今度の件で火がついた。田母神氏が文民統制違反なら、首相の参拝などを非難し、新聞に勝手な持論を書く校長も同罪ではないか。そんな批判が表れ、田母神氏も「あの人はひどい」「おとがめなしは差別じゃないですか」と雑誌の対談で問題にした。

 確かに防大教授らも自衛官の身分をもつが、学者としての言論には自由があり制服組とは違うというのが政府見解で、中曽根内閣のころ非核三原則を批判した防大教授が不問に付されている。ましてメルマガほ首相の注文だったしコラム執筆も防衛省の許可を得ているから批判は筋違いだ。
 だが「校長罷免」の声はやまない。「反日」「媚中」「左翼」などの言葉が投げつけられ、周りの防大教授らにはメール攻勢もかけられる。そんな中、3月1日大阪市で予定された関西防大0B会での五百旗頭氏の講演が中止に追い込まれた。防大OBを含む一部の活動家が抗議の電話をネットで呼びかけ、OB会長への直談判にも及んだ末である。混乱回避へのためとはいえ、中止を決めた会長は「敗北感」を口にする。
もっとも2月22日に都内で行われた防大同窓会の総会では五百旗頭氏が防大教育の信念を語り、降りかかる火の粉を払って理解を得た。空自で田母神氏の先輩だった竹河内捷次会長(元統幕議長)は「先生の言動の一部分をとらえて攻撃する人もいるが、全体を見れば理解でき、尊敬もできる」ときっぱり語る。こんな空気こそ校長の大きな支えに違いない。
 ところで「ルーズベルトの罠」に似た解説は靖国神社の遊就館にも展示されていたが、07年に削られた。外交評論家の岡崎久彦氏が「知のモラルを欠く」として未熟な反米史観を廃せ」と産経新聞で唱えた(06年8月)のがきっかけだ。米国からの批判もあってのことだが、それをむし返した田母神氏の感覚は、日米安保体制の要職にいた人とも思えない

2009年3月14日 (土)

障害者自立支援法

2009年3月13日付け朝日新聞朝刊に、「迷走 名ばかりの自立支援法」という見出しで記事が書いてありました。
障害者を支える理念が法律の根底にないことが問題との解説が書いてありました。

障害者の自己負担はもともと、所得(負担能力)に応じた「応能負担」だった。これが自立支援法で「受益(利用したサービス)に応じた負担」という「応益負担」に変わり、負担率は1割に決められた。

与党は障害者の反発や世論の批判を受け、自立支援法見直しを行い、「応益負担」を撤回する方針を打ち出した。

何故このように迷走したのかについて、は冒頭の「理念がない」ことと、財源難に行き着くようです。

障害者支援法は違法ということで、国を提訴した方々は、次のように考えているようです。「障害者が地域社会で働き、生活するのに必要な支援は、障害者が受ける"利益"ではない。費用は社会が広く負担して支えるべきだ

岡部耕典・早大客員准教授は「福祉サービスにおける応益負担の意義や是非について、きちんとした議論や合意形成なされたことがない」ことが問題と言っています。

このくだりが印象深いです。
県の担当職員から「施設を利用しているのだから費用が発生します」と言われた。「公務員は、庁舎や机の利用料をとられますか」。こう言いかけて平島さんは言葉をのみ込んだ。

2009年3月 6日 (金)

ココログで、記事面の横幅がどこまで広げられるか、について

私の叔父がココログをやっていまして、リッチテンプレートの中から気に入ったテーマを選び、写真を掲載しています。投稿はホームページビルダーから行うのが簡単なので、それでやっているのですが、大きな写真を掲載しようとすると、右側が切れてしまいます。
そこで相談を受けました。
結論から申しますと、ココログでリッチテンプレートを使いますと、下図の赤枠で示した通り、横幅が固定になりまして、可変にすることが出来ないことが分かりました。



それで、横幅を広げるにはどうしたらよいか、サポートに聞いたり、ココログ上でいろいろ試してみまして、ようやくやり方が分かりましたので、私自身の覚え書きのために書き留めておきます。

リッチテンプレートが使えないので、ではどうするか、操作方法です。

1.ココログの自分のサイトに入り、デザインタブ→「新規テンプレートの作成」を選びます。ウィザードに従って4番目まで来ますと、テーマを選ぶ画面が出ます。「ココログオリジナルテーマ」は私は試していないので、分かりませんが、カスタム・テーマを選びますと、下図では「ページ全般の設定」の中央列が400ピクセルになっていますが、これを「可変」に変えられます。



2.上で「ページ全般の設定」の下の「編集」ボタンをクリックすると、中央列の横幅がいろいろ変えらますので、「可変」を選びます。


ここでその他いろいろカスタマイズして、保存とか、反映とか、いろいろボタンを押して設定します。デザインを自分で決めなくてはならず、リッチテンプレートより面倒ですが、横幅がある程度大きくなりますので、最初から大きな画像を入れたいという人には好都合です。
ただ問題もあります。見る人のディスプレイの大きさにもよりますが、800ピクセル、900ピクセルといった大きな画像を入れますと、右列が写真に押されて画面から見えなくなってしまい、体裁が悪くなります(右列を作らない方式でもよいと思いますが私は試しておりません)。
大きな画像を入れるといってもせいぜい700ピクセル位までしか入れられないと思います。

また、ホームページビルダーから入れようとすると、ホームページビルダー上でのココログの画面が下図のように変な配置になります。700ピクセル位の画像を入れますと、バックナンバーと書いてある右列の帯の下に写真の右側が隠れてしまいます。



ちなみに、ココログでデザイン変更したら、ホームページビルダーの赤矢印の「サーバーから取得」をクリックして、デザインを取得する必要があります。
(ブログメニュー→ブログ設定と辿ります)

2009年3月 2日 (月)

浜 矩子著 岩波新書 「グローバル恐慌」を読んで

私は大学で経済学関係を勉強した。ケインズ、ヒックス、ハロッド、サミュエルソン等々の著作を読んだ。会社へ入ってから、公害問題が各地で発生するに及び、またいろんな個人的な理由から、経済学は公害に全く無力だと悟り、次第に関心から遠ざかるようになった。

毎日日経新聞を読んではいたが、金融関係については、全くチンプンカンプンでよく分からず、債権の証券化とは、当時何か怪しげな感じがしただけで素通りしてしまった。

朝日新聞で浜 矩子さんの記事の連載の中で、「人間不在の経済学 恐慌生んだ」という記事を目にしてから、突如私の心の扉が開いた。経済学への私の回帰が始まった。経済学が、私が学校で勉強したのと違い、コンピューターを回すだけで、無味乾燥でかさかさして、人間味が乏しくなっていると感じているところに浜さんの「人間不在の経済学 恐慌を生んだ」の記事を読んで感銘を覚えた。そこから猛然と経済学の興味が復活した。

また私は、最近株式投資と外貨預金を少しやったが、損失が怖くて、止めてしまい、誰かプロが運用してくれるものなら安心だろうと考え、投資信託を買ったが、今の価値は購入時の半分程度に下落してしまった。何故そうなったのか知りたかった。

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浜 矩子著 岩波新書 「グローバル恐慌」から、今日の大恐慌を招いた道筋をピックアップしてみます。この先は、私が考えて書いたものではなく、浜氏の著作からの引用です。

2008年9月15日投資銀行のリーマン社倒産
サブプライム・ローン証券化商品の価値低下に伴う損失が原因
片や同じ投資銀行のメリルリンチ社が商業銀行であるバンク・オブ・アメリカの傘下に入る

投資銀行と商業銀行の違い 預金を受け入れるかどうか
投資銀行は預金を受け付けない。証券会社と同義語。

2008年9月17日
AIGが窮地に追い込まれる。国家の管理下に
金融商品に関する債務不履行に備えた保険ビジネスが命取りに

モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスの投資銀行コンビ
商業銀行の看板を掲げ、政府の管理下に入る

1933年銀行法グラス・スティーガル法
銀行による証券業の兼業が禁止された。
1929年の大恐慌への反省からの立法
1999年銀行と証券の相互参入に道が開かれることに

2007年7月
投資銀行のベア・スターンズ社傘下の会社がヘッジファンドのサブプライム証券化商品への投資焦げつきがもとで倒産

2007年8月
フランスのBNPパリバ社同じ理由で倒産

2007年9月
イギリスの地方銀行ノーザン・ロック大損失、公的資金投入で決着

2008年3月
投資銀行のベア・スターンズ社破綻の危機に陥る
JPモルガン・チェース社が救済

2008年9月
ファニーメイ(連邦住宅抵当公社)、フレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)
住宅ローン債権の証券化商品の買い取り、保証供与を展開
2007年末に、新規組成住宅ローンの債権の75%を保有するという結果
両社の住宅ローン債権残高は約550兆円

債権の証券化とは何か
まず、何を証券化するのかといえば、その対象は債権である。カネを貸した相手に対する貸し手側の債務履行請求権だ。要は請求書である。債権の証券化とは、平たくいえば請求書の切り売りなのである。
証券化を活用する金融機関は、ツケで飲む客が多い飲み屋のようなものである。なじみ客が増えるのは結構だ。だが、ツケはあくまでもツケである。請求書を現金代わりにして仕入れの代金を払うわけにはいかない。店を拡張するための設備投資にも使えない。しかも、請求書の山には必ず貸し倒れの危険がつきまとう。そこで、飲み屋は一計を案ずる。たまった請求書を切り分けたり束ねたりして、たくさんの福袋をつくるのである。その福袋を町中の人々を相手に売りまくれば、飲み屋の手元には福袋代という形の現金収入が入ってくる。同時に貸し倒れリスクも福袋の買い手に転化することが出来る。請求書の山が突如として現金に化けるは、リスクは人に押しっけられるは。これぞまさしく、金融錬金術だ。
 このツケの福袋が、要するに債権の証券化商品である。債権と証券の違いは、債権が基本的に転売出来ない性格のものであるのに対して、証券はそれが可能だというところにある。債権が転売できないのは、それが貸し手と借り手の相対関係、つまり一対一の関係の下で成り立っているからである。
(飲み屋の請求書には高い金利が付いていて、福袋を買った人は、うまくいけば、金利分だけ儲かるということだと思います)。

福袋を買った町中の投資家たちが、中身の焦げつきで次々に大損を蒙るとする。福袋の買い手に対してその購入資金を用立てた人々も被害を蒙る。損失の連鎖が起こる。飲み屋(投資銀行)にも誰も行かなくなる。
(債権の証券化とは何か、この福袋のたとえでようやく分かった)

債権の証券化商品には、例えば債務担保証券(CDO)がある。

そもそも担保となる債権に関する格付け会社の評価が甘かったという問題がある。甘くなる原因は、格付け会社が証券化商品の発行元からの依頼で評価を行うからである。

住宅バブルへの道

2000年頃住宅バブルの萌芽がアメリカで形成され始めた。
FRBが金融危機と実体経済を救うため、低金利策に出た。
実質金利がマイナスすなわち、カネを借りると補助金が支払われるということ。
貸出金利も下がって、銀行は利ざやを取りにくいが、貸し出し量が多ければ問題ない。ここで脚光を浴びたのがサブプライム方式の住宅ローン。

住宅価格が急上昇を始めた。2006年まで続いた。しかし、サブプライム・ローン
の組成は止まらなかった。

グローバルバブルの背景

2000年代に入って以来、地球経済は基本的に低金利・カネ余りの状態で推移してきた。実は日本のゼロ金利政策と量的緩和策が世界的なカネ余りに影響を及ぼしていたと考えられる。日本国内で金利を稼げないジャパンマネーが高い金利を求めて世界に出ていった。
円キャリートレード。タダ同然の金利負担で日本で資金調達して、外貨に変えて運用する。

投資家達は、超ローリターンが浸透する中で、何とかハイリターンを獲得しなければならなかった。ハイリスクに対する感覚がマヒしていった。

今回の恐慌の原点は、ニクソン・ショックにあった。

1971年8月15日ドルの金交換を停止

1944年7月ブレトンウッズ会議でのIMF協定成立。金1トロイオンス=35ドルでいつでもドルを金に交換できるという取り決め。

交換停止ということは、アメリカ自身がこの体制を維持する責務を負い切れなかったということ。

その後タガの外れたアメリカがドル紙幣増刷。インフレの進行。

1960年代後半から、財政収支の悪化と、対外収支の赤字化。「双子の赤字」と言われる。

1933年銀行法グラス・スティーガル法
預金金利上限規制があった。

投資家は世の中の金利水準が上がるなかで、銀行に預金しないで、投資信託、国債、社債などの金利の高い商品を買うようになった。銀行にカネが集まらなくなった。信用創造の行き詰まり。

1975年5月証券委託手数料の自由化

1980年3月預金金利に関する上限の撤廃、

新手の金融商品の出現、金融のIT化が寄与
金融派生商品(デリバティブ)の出現、金融の工学化
この過程で発生したのが、債権の証券化商品

1970年、政府抵当金庫が融資債権の証券化を始めたのが始まり
国民皆持ち家を目指すアメリカの住宅政策の担い手

問題は、使途限定的な手法が次第に一般化してしまった。
リスクの分散化、拡散化

1987年銀行の一般債権に関する証券化が開始された。「債権担保証券(CLO)」銀行融資の全てが証券化された。

グラススティーガル法による規制体系には三つの柱がある。
1.銀行と証券の兼業規制
2.預金金利規制
3.州際業務規制(州境をまたぐ越境ビジネスを原則論的に規制)

1999年までに、三本立て規制が全て撤廃された。

金融の一人歩き、暴走、モノと完全に遊離。モノ作りへの影響。

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